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PSO2はShip5にMILAIでよく現れる。 話しかけると中の人が反応するかも?
『PHANTASY STAR ONLINE 2』公式サイト
http://pso2.jp

故人を偲んで [その他]

なんていうか、一方的なファンだったなって多分終わっちゃう記事だけど。

聴くたびにどんどん好きになって、いつの間にか崇拝していたパット・トーピーさん。
訃報を聞いた後、逆に熱が戻ってしまい、連日聴き直しが加速しています…涙しながら。
家が厳しかったんで、当時のバンドのライブは生かせてもらえなかったので、ほとんど思い出は映像です。

正直、語れるほどたくさん知ってるわけじゃありません。
とにかく、映像に出たらすぐ見る、録画する、何度も見る、そういうところにずっといた感じですな。

割と早い段階で初めてのバンドに参加した頃に、そこの仲間に教えてもらってはまり込んだMR.BIG。
DSC_0027.JPG
※恥ずかしながら、俺の周りのドラマーさんもみんな好きで、CD借りて聴いたりしていた関係で、
 一部は最近買ったものも入ってます。
 けど、一応全部当時物です。再販版にはデモトラックが入ってたりするけども、敢えてオリジナルを。
 昨年の最新がありませんが、これはどうしてもあの代役の方のラディックの音に慣れられないので買わなかっただけです;


CDが後買いになったのは、当時高校生だったのとバイト禁止されてたんで買えなかったからって感じですな。
当時はX JAPAN最優先でしたので、まずはそっち買って余力あったら追加みたいな感じだったんです。
(ドラムに興味持ったきっかけは間違いなくYOSHIKIさんなんですけどもw)

実はね、俺がTAMA Drumsを自分のキットとして用意するきっかけになったのってパット・トーピーさんだったんですよ。
当時のバンド仲間に洋楽を勧められて行くうちに、気に入ったバンドのドラムを調べていったら、9割以上でTAMA使ってるというのに気がついて。
※バンドとして一番最初に俺が惹かれたのはゴダイゴ(80年くらいかなぁ?西遊記でMonky Magicが大流行した頃です)
 ゴダイゴのトミーさんもTAMAなんですよね。
 気に入ってTAMAじゃなかったのって、気づいた当時はANGRAだけだったのですな。

で、すごくパット・トーピーさんのドラムがかっこよく聞こえて、90年代半ばだったかな?教則ビデオが出たって耳にして、なんとかお金用意してVHSの教則ビデオ買ったんです。
DSC_0025.JPG
(大事に見てたから今でも伸びてないよ?w このVHS、コピーガードがかかってるんでHDDレコーダーに移せません)
このビデオ見て初めて気がついたんです、「あれ?この人もTAMAだ!」って。
そこからはもうずっとTAMA一辺倒です。

この教則ビデオについていた譜面が最初のテクニカルトライだったんですけども、独学でまだ3年目くらい、しかも大学受験でほぼやれない状態な自分にできるわけもなく;
何が違うのかを探り始めがこの頃始まりました。
で、最初に買ったのがなんと「○○さんモデルは使わない」の法則をいきなり破るスティック購入。

DSC_0023.JPG

もうこの頃は「パットさんかっちょいー!!」だったので半分お守りでしたけども←
(ちょっと使ってますが、教則ビデオが出た頃のモデルです。グリップが黒くなってるのは、当時俺はドラムグローブを使ってスティック落としを防いでいたためですな。)
これで、ドラムスティックのモデルの違いによる演奏のしやすさの変化を知った感じ。
ただ、正しい叩き方を当時知らなかったので、使いこなせませんでした。

わかったことは「自分には基礎ができあがってないから、まずはそっちやらなきゃ駄目」ってことだけ。
それでもこのビデオのおかげで3連以外のパラディドルはできるようになったけども。
片足高速ダブルもこの時習得したかな?
ええ、真似しましたよベビーパウダー(笑
この時の影響で、未だにスライド奏法です。

で、大学在学中(大学院出るまで)はバンドやってませんので、個人で楽しんでました。
…なんて言うか、当時の軽音部に入る気が起きなかったんですよね;
なので、スタジオ入るときは高校の時の仲間といつも行ってました。
そんな中、先日の記事にも書きましたけど、そうる透さんがまとめていた日音の教材で基礎を学ぶわけです。
結果的に時間が論文に取られて全部できなかったんですが、そこで改めてまた教則ビデオの譜面やってできるように。
できないのTake CoverのリニアプレイとColorado bulldogの頭くらい。
まぁ、お世辞にも下手くそなんで、当時はきったない再現でしかありませんでしたが(

この間、CDが買えなかったのが続いていたので、聴きたくなったらこの教則ビデオ見て楽しんでましたな。
※他にも教則ビデオはいくつか買ってますが、断然これが多かった。
 もうね、パットさんのドラムソロ見たくてそこばっかり見てましたので。

大学院に入った頃、今の俺に一番影響したhideさんが亡くなるわけですが(俺はドラマーじゃなくて本来はコンポーザーですので)、ショックでメタル聴けなくてもハードロックは聴けたので、その間やはりパットさんだった感じ。
もうこの頃はパットさんの写真見るだけで安心するくらいになってました←

でもって、時は過ぎてVHSが下火になり…LDからDVDへ時代が移ってしまい、VHS見られなくなって上の教則ビデオが宝物のまま見られなくなって苦しむわけです←
DVDで販売し直し出たんですが、あっという間に売り切れちゃって手に入れられなかったし。
(ちなみにCDは再販の話の前は廃盤で中古探し旅ずっとして手に入れられてなかった感じです← 見つけても高くて…;)

まぁ…近年やっと入手したんですけども。
DSC_0026.JPG
※他にももう一つ教則ビデオあるから探さないとね

もうこの頃は社会人でしたので、大学の頃になんとか買った「リーン・イントウ・イット」と「Hey Man」、「Big,Bigger,Biggest」(ベスト盤ね)を聴きながら、パットさんの音をずっと追っかけてて。
※平行して2002年頃メタル聴けるように復活したのもあり、現在の式神倶楽部に入るくらい陰陽座ファンになったんですが←
 そして、今の選択肢の元になる陰陽座コピーバンドを始めるわけです。

ドラムやってて、何か詰まるたびにVHSデッキなんとかして2005年まではこの教則ビデオ見直しとメソッドをずっとやってた感じだったなぁ。
で、結局ドラムソロばっかり見てて聴き惚れてたんですけども←

社会人になってからはライブ行くのに制限あるわけもないので、積極的に見に行き始め、
2009年の『BACK TO BUDOKAN』が決まったときにはチケット買いに奔走しました。
生でパット・トーピーが見られる!!あのスーパープレイを生で聴ける!!
席の位置はかなり最悪な場所でしたが、幸運にもパットさんの手元がよく見えるステージ奥側だったので、曲を楽しみながら、プレイのすごさを目の当たりにし、念願叶ったのが夢のようでした。

その後、しばらく自分のバンド活動でわたわたしていてちょっと忘れかけていたときに、パーキンソン病でだんだんドラムが叩けなくなってるという報道。
もうそこだけでショックでしたけども、治療法が大分進化してきたので、きっと抑えられてプレイが見られると信じてました。
…今となっては、それもこちらの勝手な思いだけだったなぁって思うところですが…

それでもニューアルバムにはパーカッションとして参加されていましたし、昨年秋の公園でもステージに上がられていて、安心もあり寂しくもあり…
ただ…ただ、俺自身が祖母の介護関係で疲れが出てしまい、昨年は他の買ったチケットの日程を忘れたり、チケット買うの忘れたりと散々でいけなかったのが悔やまれます…

…やっぱりパットさんの顔見たかった。

いや、見ておくべきだった。

先日の訃報を聞いて、この記事の前の2つを書くまでは、思い出してはじんわり涙がでちゃって、ホント辛かったです;
や、今でもこう書いていて涙がでますな…
(辛いのもあったけど、聴いてると和らぐので、CDとyoutubeでのライブ映像見たりして涙拭き拭き過ごしてました。)

亡くなられたことで、今後きっとそのモデルが手に入らなくなると思ったので、2000年代にモデルチェンジした側のパット・トーピーモデルのスティックを2pr買いました。

DSC_0024.JPG

スティックの刻印見て驚きましたね。
上の古い方は「2B」なんですけど、現行は「5B」なんです。
つまり、パットさんも進化をやめてなかったんだなっていう。

思い返せば、TAMAのIronCobraのフットボードが、初代モデルスタイルから2代目モデルに切り替わったとき、形状からスライド奏法が難しくなるので、表面をサンダーで削って平らにしていたとかありました。
そこから現行のデザインになってその処理をしなくて済んでいるのも記事で読んだりして。

今、俺はスティックはProMarkのFireGrainの7Aがメインですけども、実は5B5Aも平行して使ってるんですね。
……まさかですよ。5Bでつながるなんて。
確実に影響受けてて、考え方の指針を直接じゃなくてもいただいていたんだなと。
(早速修正でごめんなさい。さっき確認してたら、FireGrainは5Aでした。もうどうかしてるよ俺;2Aは出てるね)

あとね、やっぱりこれは言っておかないとかな。
ドラムのシンバルを買い始めた頃、どれが良いかわからなかったので、聞いたことのある好きな音で試していくのに、パットさんの使用していたジルジャンを全部試したんですね。
で、そこで「やっぱり本人とは体が違うから同じにならない」を体感するんですが、ただ一つ、イメージ通りでそれ以外考えられなかったのが今の俺のメインライドになって、ずっと使い続けてます。

「Zildjian A.Custom Projection Ride 21”」

いつの間にか廃番になってましたが、未だにこれ以外の代替を俺は考えられません。
割れたときの代替としてのモデルは選定終わってますが、やっぱりこれが一番。
20”じゃピッチが高すぎるんです。
※ちなみに、イメージ通りの方向に揃えた結果、ハイハットとクラッシュが2nd Gen.のZ.Zildjianになってます。
 チャイナは普通のA.Ziljianの18”。
 Zに関しては以前このブログで追加購入したクラッシュ2枚でも話してるか。

あ、サイズの話で言えば、左手側のクラッシュが17”なのも影響です。
試したら16”では低い、18”は良いんだけど位置がちょっと違う的な。

これがある限り、俺の中からパットさんの影響消えることはないんだろうな…
いや、多分一生残る。


ホントのファンの方には「おまえ自分語りしたいだけだろ」って言われそうなのもわかった上での今回の記事ですが、
…なんて言うんだろう…たくさん見られなかったからこそ、短い時間での強いインパクトがすごかったって言うのか…俺にとっては絶対に忘れられない人だなって。
上手く言葉になんないんですよね…

なので、今回は駄文お許しを。



R.I.P,Pat Torpey…

絶対に忘れません。

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